文化の達人から聞く、小坂の魅力。
それぞれの旅館の良さをお互いが知って、いっしょに小坂の将来を考えていきたい。湯屋温泉 泉岳館 女将熊崎泰子さん

(1)四代目女将として

湯屋温泉 泉岳館  この湯屋に鐘つき堂と弘法様を建てたのが、明治生まれの初代の女将で、私がその曾孫にあたる四代目。
 私は三人娘の末っ子なんや。だから当然、外にお嫁に行けると思うやん。自由奔放やったな。でも、姉ちゃん二人と私は歳が離れていて、二人とも20歳で結婚しとるんやけれど、長女が結婚する時、私はまだ中学生やったの。真ん中の姉ちゃんが結婚する時は、私は高校生やった。そんなもので、まぁ残った者は私やわな。よそへバイトに行かさせてもらえないから、「いっしょにやろうよ」って同級生も誘って、旅館の仕事を手伝ってた。だから外に出たことがないという。

 うちの母は女将じゃなかったわけ。母は裏方で中番みたいな。ご飯つくったり、表にはあまり出なかった。出るのはお父さん。宴会場では、父があいさつしてお酒をふるまって、歌うたって。母は洗いもの、片付けして、布団敷きやらそういうことをやって。
 私は「旅館は女将が前に出た方がいい」って思って、自分ではそうしたの。継いで最初の頃は子供もちっちゃいし、4人おるんやけれど、お腹が大きいときもあったし。だから子育ては全部うちの人。おしめ変えたり、おんぶしたり、乳はあげられんでもミルクをやったり。うん、そんなんでやったさ。10年間で4人産んでるでね。

想い出帳  宿の「想い出帳」ね、これ、私が始めたんやさ。一番最初のが昭和56年5月。私が女将になった時に始めて、ずっとこうしてお客様にメッセージを綴ってもらって、今があるんです。これを今、息子や嫁さんに継いでもらって、こうして続いています。
 ここに時代の流れがずっと残っている。たまにリピーターさんがみえて、これを見て懐かしがられてね。おじいちゃん、おばあちゃんが、「ここにイタズラ書きした孫も、お嫁に行ってしまってなぁ」なんて、そんな懐かしい話を聞かせてもらったり、「あぁ、いいこっちゃなぁ」と。逆に今、若い恋人どうしで来られたお客さんがこれを見られて、「結婚したら子供連れてこようかなぁ」とかさ。

(2)「日本秘湯を守る会」に加盟

「日本秘湯を守る会」  昭和50年代に、団体旅行の流れがあったでしょ。でも、その流れも時代とともにいつかは去るなと思ってたの。
 当時はね、大手の旅行業者さん、エージェント様さまの時代やったな。エージェントの言われるとおりに、何か付けよとか、カラオケサービスしたらとか、あいさつに回ったりとかな。
 やけど、ふと振り返ったら、忙しいことだけが頭にあって、顧客管理も何もないんやさ。「こんなことでいいのかな」と思ってな。それからバブルがはじけたりして、これからはエージェントに頼る時代ではなくなっていくんやろうなぁ、大きな温泉地と同じことをやってても生き延びられないぞ、と。どうしてもエージェントは同じように見てくるもんで、例えば「下呂ではこうだから、ここもそうしなさい」っていう感じなんやさ。ちょっと違うんでないかっていう。だって泉質も違うし、まわりの環境も違うし、温泉地としての良さが違うんだから、何かここはここの良さを活かさんと。規模も違うし、下呂と同じことやっても無理やっていう。

 それでね、うちら夫婦、結婚当初からずっと、結婚記念日とか、お互いの誕生日には旅館を休みにさせてもらって、必ず一泊二日で旅行に行くようにしとったの。で、宿はいつも、小さくて団体がいなくて、のんびりできるところを選んでおったの。
 ふと気付いたのは、選んだ宿には必ず同じ提灯があるんやさな。「この提灯って何の意味があるんやろうな」って思っとって、で、あるときオーナーさんに「これ何ですか?」って聞いたの。すると「日本秘湯を守る会」に加盟してる宿のしるしやって。
 それで、会の理念とかそういうことを教えてくれて、「これはまさしくうちの宿にぴったしや」と、「うちも入りたいなぁ」と思ったの。
炭酸泉  やっぱり念ずると叶うもんやね。「日本秘湯を守る会」は、当初30軒くらいの会員でやっとったところを、あんまり好評やもんで、ちょっと拡大するっていうことが決まったらしいんやな。それで、「いい旅館があったら本部に紹介してくれ」っていう動きがあって、うちが推薦されたんやな。
 会の役員のかたがうちに視察に来られて、お湯は集中管理じゃなくて源泉を持っているし、しかも飲むこともできる炭酸泉で、宿は仰々しいビルディングでなく木のぬくもりがある二階建てでとか、条件がはまったんやね。
 他にもいろいろ規制っていうか、約束事があって、会の方が言われるには「静かに泊まれて温泉を楽しめること。カラオケで騒いだりはダメ。地元産、そこの土地のものが食べられること」。だけどそれは私がやりたいことやし、うちの社長(=ご主人)もやりたいと思ったことなもんで、「あぁ有り難いなぁ」っていう感じで、そこから今があるんやさな。

 それを機会に、2階部屋は全部やめて、下の11ルームの稼働だけにしちゃった。川の景色が見える部屋だけで勝負しようと。
 そりゃ1~2年は大変やったよ。部屋数を減らせば当然売上は下がるし、その分、料金を上げようにも、お客さんに納得いただけないと無理やろ。下げるのは簡単やけどね、上げるのは難しい。ある程度の線まで上げるのは、本当に苦労した。

 当初、秘湯の会では、加盟してる宿のスタンプラリーをやっとってさ、宿に泊まるとスタンプを押してもらえて、3年間で10個集めると、そのうちの1軒、好きな宿に無料でご招待なんですよ。
 それって、無料招待なんやから、お客さんは本当に泊まりたい宿、もう一度行きたい宿を選ぶよね。最初はね、「スタンプがたまっても、うちを指定してくれるようなことはないやろうなぁ」なんて思ってたんやけど、「もう一回泊まりたかった」って来てくださるお客さんがいてくれるの、ちゃんと。「あぁ嬉しいなぁ」って、しみじみ思うのね。

(3)「秘湯の会」を通じて得たもの、学んだこと

「秘湯の会」を通じて  「秘湯の会」に入ってから、本当に人間の温かさ、人情っていうかな、そういうのを感じるのね。
 以前は大手の旅行業者さんの協定の旅館さんが集まる会議とか、そういうところにも出ていたわけ、ずっと。スーツ着たりなんかしてね。そういうところでは、みんな何か世間体を大事にして本音を出さない、余計なことは言わない、絶対に自分のところの旅館のことは何も言うまいってね、女将どうしでも淡々としたうわべだけの付き合いみたいな感じでねぇ…。
 それが「秘湯の会」ではね、会合でも懇親会でも、何か自然体っていうか、みんな和気あいあいなの。みなさん、まったくぶっちゃけた話をされるんです。何ていうか、みんな身内っぽい、ほんとあったかい関係。よその宿の悩みに対しても「自分のところはこういう時こうやった」とか真剣に考えてくれるし、悲しいことが起こるとみんなで悲しみ、騒ぐときにはバーッと大騒ぎして。

 最初のころに驚いたのは、会に入ってる宿のお父さんやお母さんが亡くなられると、パァーッとその情報が流れてきて、うちらは「いやぁ、でもご本人そんなに知らんしなぁ…」と思うんやけど、ほかの旅館さんはみんな、まるで自分の親が亡くなったみたいな感じで、東北であろうがどこであろうが、お通夜とかお葬式とか、泊まりがけで行くのよ。
 それこそ「入院した」とか「怪我したとか」とか、見舞いやら何やかんやで、みんな心配してくれるの。お祝いごとにしてもそう。「誰々が結婚する」とかさ、「いくら包もうか」とか。もう、地元のつながり並みにさ、いいところやってさぁ…。

「秘湯の会」を通じて  私はね、有り難いことにうちの人が「どんどん外に出ろ、勉強してこい」って言ってくれるし、何より本当にスタッフのおかげ様で、世間に目を向けながら、どっかの会合があればどんどん出て行って、いろいろな方と会って話をして、その中からいろんな情報を私なりにキャッチして、旅館に持って帰って、「こういうところが良かったで、うちもこういうことを取り入れたらどうやろう、こんな料理はどうやろう」って、いろいろ話し合いながら、どんどん前に進めるからね。

 もっとお客さんに来てもらうため、喜んでもらうためにはさ、商売を楽しくしなあかんと思うわけ。
 それにはさ、いまあるものをもっと活かしながら、やっぱり外へ出て行って、旅館に限らず、華やかなお店が何をやっているか、ディスプレーの仕方とかさ、そこを通ったら「ちょっと入ってみたいな」って思わせる何かがあれば、それは「何やろう?」っていう、玄関先に花ひとつ生けることでも随分違うやろうし、のれんひとつですごい雰囲気が変わるやろうし、それほどお金をかけなくてもやれることはいっぱいあると思うんやさ。

(4)うちの旅館でやりたいこと

「秘湯の会」を通じて  うちにみえるお客様は、「静けさ、のどかさの中で、ホッとのんびりして温泉に入れる」っていう。時間を忘れて、日頃の慌ただしさを忘れて、とにかくのんびりと一日を過ごして頂きたいっていうか。
 たとえば、夫婦2人だけでのんびり話すことって、ふだんの生活では意外とないじゃん。ここに来れば、上げ膳据え膳でね、それこそ何も片付けんでいい、お布団もね、何もせんで、ゆっくり温泉に入って、語ってください、同じ時間をゆっくり過ごしてください、そういう旅館にしたいの。私自身が、旅に出てそうしたいから。
 私たちが「こうしたい、こう泊まりたい」って思うことを自分の旅館でできればいいかな。「こうしよう」と思えば明日からでもできる規模の旅館やでね。

 大きいところはね、いろんなお客さんに応えるためにあれもやる、これもやる、いろんなことをやるうちに、何を求めておったのかわからなくなる。うちらは、「ここはこういう宿です」と、「これやこれはうちにはありませんが、こういうことを求める方に来ていただきたいのです」と、そういう旅館でいいと思うんやね。ある意味、「何もない」ということを、逆に素敵に思ってもらえるような。
 「どんちゃん騒ぎはできません、コンパニオンは入れません、ただ自然と遊んでください、温泉にゆっくり入って下さい」とね。
 私はあえて蛍光色より電球色が好きなの。あとローソクの灯りにすっごく癒されるもんでね、自分がね。だから「なんて暗いんだこの旅館は」と言われても、もちろん「申し訳ございません」とは言うけれど、「だけどうちはこういう宿なんです」と、ちゃんとお伝えする。チンカラチンカラ明るい宿をお求めなら、下呂温泉とかね、大きいホテルに行っていただければいいのであって、うちはうちとして個性豊かな旅館づくりをしていく、それによってお客様に喜んでいただきたいの。

(5)炭酸泉の良さをもっと地元の人に

 「小坂には何もない」なんてね、一面ばっかりとらえて、分かったようなことを言う人がいるんやで。
 私なんかは、そういう人に対して「え~っ」て思うのね。こんな素敵なところに生まれ育ってさ、こんな自然豊かな春・夏・秋・冬があって。季節ごとにおいしい食べ物があってね。

 うちらは、そんな小坂の魅力に、炭酸泉の魅力を掛け合わせていきたいわけ。
 何より、地元小坂の人たちに、もっともっと炭酸泉を知ってもらいたい。炭酸泉を飲めば胃腸にいいし、美容にいいし、温泉に入ればあったまるし、血圧下げるし、薬よりもいいものがここにあるんやで、もっともっと町民の方たちは炭酸泉を知らなあかん。
 そのためのひとつの試みとして、「飛騨小坂炭酸泉まつり」はいい企画やったな。外からお客さんに来ていただきたいのはもちろんやけど、地元の人に温泉めぐりをしてもらって、「それぞれのお湯が違うんやよ」っていうことをとにかく知ってもらいたいなって。自分が知らなければ他の人に言えないわけだから。

炭酸泉  そういう私自身もさ、仙游館さんに泊まったことないし、ニコニコ荘さんに泊まったことないし、うちの人といっしょにちょっと泊まりに行かなあかん(笑)。
 とにかく、自分の旅館のことは知っとるけど、他がどうしてみえるのか、どんな料理をお出ししとるのか、知らんもんね、お互い。だから、自分のところの料理を他の旅館の女将に食べてもらって、感想や意見を聞いてみたいのよ。私もまた他の旅館のを食べてみたいのよ。
 そう、女将みんなで旅館めぐりとか! 温泉に入って、夕ごはんをいただいて、朝ごはんを食べさせてもらって、それで解散! みんなで泊まりゃ、いろいろな話ができるやん。近いから、何かあればすぐ帰れるし、ちょっと安くしてもらって(笑)、みんなお互い様なんやから。
 女将みんなでね、泊まりがけで、打ち解けた話、いろんな話が出来たらいい。それこそ「日本秘湯を守る会」みたいにね。親密な間柄がつくれたらうれしいなぁ。

泉岳館
>> http://www.sengakukan.co.jp/

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