自然の達人から聞く、小坂の魅力。
撮り続けてきた滝の写真を使って何億年を股にかけた地球の記録を残したい。 和合 正さん

(1)釣り、山登り、そして写真

 まずはおれ、小学生の頃から魚釣りばっかりしてて。鞍掛峠ってあるんやけど、そこを越えて行くと三浦ダムというのがある。そこまで行くと、ダムの上に御嶽山が見えるんです。ほとんどそこで魚釣りばっかしてた。一日に百匹くらい釣ったよ。もう病みつきになってしまって。これは若い頃の話やけど、北ノ保川で53センチのイワナを釣ったりしたこともあってさ。
 それがね、50歳になったときに、「魚釣りばっかやっとってもな」って、なぜかふと思って。「魚釣ったって、こんなこと何にも価値がねぇ」なんてね。人間ってのはね、どっかでそういうことをふと思ったりするんですな。

 一方でね、高校の頃から沢登りもやっとってね。おれ、中学校から大学まで11年間、東京におったのよ。それで高校の頃は西多摩の山をほっつき歩いとった。勉強もせんと、山ばっか歩いとった。で、飛騨に帰ってくると谷ばっか行っとった。大学時代は、夏休みには1ヶ月バイトやって、もう1ヶ月はこっちに帰ってきて山に行く。地獄谷とかな。
 地獄谷、御嶽山で一番手ごわい谷やわのぉ。ひどいとこやな。だけどおれ、ナタ一丁で登ったよ。手が届かないところは、細いロープもっていくんや。石にこう打ちこむような、そんなちゃんとした登山道具は持って行けんで、いちいち。谷の落ち込んだとこスレスレに登って行くのは怖いんやって。二人ならザイルで確保してとか、何やかんややるけどよ、そんなもんできへんでのぉ、一人の時には。

 そんなわけで、山は、自分の中ではずっと切っても切れん存在やったんよ。それで50になって釣りをやめてからは、山の写真を本格的に撮り始めたの。御嶽をテーマにして。
 もともと写真は撮ってたよ。撮ってたんだけど、ただ普通に撮るってのは好きじゃなくて、テーマを決めるんだけど、それが長続きしなくてさ。
 名古屋に堀田季知史さんていう方がみえてね。すごい人やよ。この人は、おれの写真にものすごく影響を与えとる。この人の写真はね、ただの写真じゃない。現場に行ってシャッターを押すだけのことなら誰にでもできるんやけど、この人は、その日の天候やら風土条件を前もって調べつくして、例えばもう最初から「この時間に、この背景に虹が架かる」ってことを予測しとる。で、その瞬間、ほんの一瞬を逃さず写真に撮るんやな。
 この人の考え方に感銘を受けて、だからおれも必ず「こういう写真が撮れるであろう」って想像して行くわけよな。例えば「あかがねとよ」の写真を撮ろうと思った時に、「水量がこのくらいだからこういう写真が撮れるやろう」ってのを頭ん中に入れて撮りに行く。ただ行ったからシャッター押しゃいいってもんやない。

(2)滝の「記録集」をつくる

 そんなことで、滝の写真を本格的に撮り始めたのは50歳から。御嶽山の滝、全部やろうと思って。
 それでね、滝の記録を作りたいと思っとるの。写真集じゃなくて、調査の記録集。滝に名前が無いと記録出来ないので全ての滝に本流・支流の下流からF1・F2・・・と名前を付けるのよ。何処にあるかって滝の住所は本流・支流名よ。「三つ滝」は飛騨川 小坂川 濁河川 椎谷 F1・F2・F3と三つ滝と一まとめではな 「あすなろは桧になりたい」と思っているから下流から翌檜(あすなろ)滝・谷名から椎(さわら)滝・檜(ひのき)滝かな。
 あのね、おれに言わせりゃ、悪いけど、写真集を作っても一回見れば後はもう見ないじゃないですか。きれいだけどね、写真集。でも興味ない。おれの場合、高山で展覧会もやったけど、それは写真展じゃなくて「記録展」にしたの。
 だた「きれいだね」って見てもらうだけじゃない、その背景にあるものまで含めて、きちんとした「記録」として残したい。滝の写真と、地図と文章を合わせて。それが、おれが生きとるうちに一番やりたいこと。地図はもう作ってあってね、飛騨の5万分の1の立体地図。ひと月くらいかかったよ、その地図作るのに。で、滝がどこにあるかってのを、撮った写真を使って個々に全部作ってね。それはあとちょっと訂正すればいいもんで。
 御嶽山は撮っちゃったもんでね、次は乗鞍やろうと思ったんですよ。それで乗鞍を始めたんだけど、途中で「山だけやるのはいかがなもんか」と思って、「飛騨」っていう地域にテーマを変えたんや。飛騨にある滝ってことで。だけど今度は足伸ばしすぎちゃってよ。「飛騨」ってなると、上宝村とか白川村とかまで入ってくるから。だけどまぁ、90%くらいは完了しとるんや。

 「記録」っていうことの意味にしてもね、やっとるうちに見方、考え方が変わってきた。
 「何を記録するか」っていうことやけどね、それは大きい言い方をすると、「地球を記録する」ということ。
 なんでそう思うようになったかって、それは化石からきとるんよ。白川村に行くと大白川堰堤上流湯川に1億5000万年前(白亜紀)の手取層に恐竜の足跡や貝の化石があるのよ。
 そこに更に古い礫が故郷の海へ行きたいと転がっているのよ。でも堰堤があるから行けないよね。かわいそうだね。この礫は生き物が居ない先カンブリア紀の6億年前頃かな、どこかの大陸の川を下り海底で砂等と固まった礫岩の礫でオーソコーツアイトて言うそうだ。この礫のある礫岩から落下する非常に美しい滝が尾川郷川支流、あまご谷支流にあるよ。
 石英質で風格と品がある礫でこの篠を「輪廻の石」と名付け記録展のテーマは滝の誕生・消滅・誕生でたとえ地球が無くなっても宇宙の何処かの水の惑星で永遠に続く「輪廻」なんて考えて・・・そんなことは分からないようにするよ。
 滝の展示写真から感じ取るのは個人の自由で解説やガイドは不要だと思うよ。高山での記録展を「分け入って・・・飛騨の滝」としましたが、理解してくださったのは義兄と静岡市の釣り師、本物の似非山頭火だけだろうな・・・。
 北アルプスなんかで見られる片麻岩てやつは古いやつでね。片麻岩ってマグマから出来た花崗岩で変成した岩だそうだ。七宗の飛騨川左岸に礫岩があってその礫を調べたら70億年前の飛騨片麻岩で日本一古いと書いてある。この写真を撮れば日本一古い風景の写真が撮れるのかな?
 巌立が5万4千年やなんて言っても、これらの石から見たら、ごく最近のことなのよ、そんなものは。地球規模でいえば、昨日起きたことなんよ。御嶽山だって、30万年くらい前に噴火してできた山やろ。たかだか30万年。桁が違うよ。
 だから、御嶽山、小坂の滝だけやっとると見えてこんけど、「飛騨」という範囲でテーマを置くと、とんでもない深さへのめりこんでいくってことは確かや。「記録」の中に、そういうものの見方が入ってくるわけやな、当然。

(3)「滝ガイド」に一番大事なこと

 「小坂の滝めぐり」に関して言えば、もともとは「小坂にこれだけの滝があるんやから、ルートを作ってガイドを付けて、もっといろんな人に見てもらおう」ということで、まずは商工会が主体になって始まったんかな。で、(桂川)淳平さんがNPOを立ち上げてくれた。そうして、あとにあとにと人がつながって、うまい具合に来とるんじゃないかな。
 おれもガイドをやらせてもらってるけど、少しでも役に立ってればいいんやけどな。

 ガイドに関して思うのはね、一番大事なのは、もちろん「そこで何を話すか」なんやけど、おれが一番重きを置いとるのは、ガイドが「自分のものの見方、考え方をきちんと持つ」ということ。
 「あれは何、これは何」ってことを説明するだけなら、専門の学者がやればええんやで。見て感じてもらえればいいことを、いちいち説明することはないし。説明より、感じることの方が大事やろ。お客さんの前で「これは何万年前の溶岩で」なんてことを自慢げに言ったところでしょうがない気がする。小坂にいくつ滝があろうが、何万年前だろうが、はっきりいってどうでもええことなんよ。お客さんが「どう感じたか」が一番大事。もしおれらが話すことがあるとしたら、「そういうものを通して自分がどういうものの見方、考え方を身につけてきたか」ってことやないかな。
 写真も同じで、一枚の写真の中には「どういうものの見方をしたか」が表されとるわけ。その人の考え方とか生き方が一枚の写真の中に入っとる、いや、入れていかなあかんということ。その方が、人に伝わる写真になると、おれは思う。

(4)「小坂の滝」ならではの見方

 日本中に、見事な滝っちゅうのはいくつもあるわな。華厳滝は、一本の滝として写真を一枚撮りゃいいでしょ。那智の滝も、養老の滝もそうやな。同じやわな全部。
 で、おれが思う「小坂の滝」の見方は、「変化」というところなんですよ。「そこに滝がある」というそれだけじゃなくて、滝には歴史がある、それが顕著に見えるのが小坂の滝の形なんやて。
 一番分かりやすいのは、「しょうけ滝コース」やね。
 兵衛谷がこう、ずっと流れとるところに「しょうけ滝」に降りる道がある。そこをしばらく行くと砂ばっかなんよ。で、「曲がり滝」って滝が落ちとるの。これと同じ高さにあるのが「根尾の滝」。で、しばらく行くと淵があって、ここに1mの滝がある。とてつもなく侵食されて淵になっとる。しばらく行くと、ここにまた滝のない滝(たきつぼ)がある。で、さらに進むと、川の中に岩峰が立ってるんやけど、それはかつてこの高さまでは川底があったということやろうと。ということは、こっから滝が落ちとったであろうと。その次にも、もうひとつ滝の形跡、1mくらいのがあるんですよ。そこから淵がずうっと続いていって、その先にあるのが「しょうけ滝」。この上はまた平らなんや。
 その淵の周りを作っとる岩石と、兵衛谷、巌立の岩石とが同じ、5万4千年前のものってことになっとる。つまりここまでの姿になるのに5万4千年。もともと高いところから落ちとった滝がいくつも、崩れて崩れて、今この姿になったと。そんな歴史が、ここを歩いてみることによって想像できるわけやな。

 小坂には、落差が5m以上の滝が300近くもあると。すごいことやろ。だけど、おれがいう「記録」という観点から考えた場合は、「今では滝がなくなっているところ、それは滝とは言わんのか」ってところがある。今では滝がなくなって、でもとんでもなく大きな滝つぼだけが残されておるところがあるわけや。おれは、それも「滝」として記録するで。落差0mの滝として。

(5)「今」を大事に、精一杯生きる

 おれの考え方はね、過去も未来もないと。あるのは今、現在だけ。だって明日になりゃおれ、死んでしまうかもしれんで。明日もないと思っておかんと。
 だから人間、いま生きとる時間を大事にして、精一杯生きるってのがおれの考え。

 高橋真理子さんという歌手が好きでね。自分で詞を作って、自分で唄うってのがいいんや。詩人ですよね。本当は詩人になれたらなりたかったけど。「夢だよね」(苦笑)さだまさしとかもね。だけどおれ、男と女と比べたらそりゃ女の方が好きだから、一番は高橋真理子さんって言っとく(笑)。
 彼女の考え方もおれと同じでね。過去にこだわる必要もない、未来のことを考えてもしゃあない、今を精一杯生きるだけ、と。何年か前に新聞に載ってたインタビューで読んだの。

 その上でまぁ、夢を見ましょうかと。確かに、夢っていうのは未来のことで、未来を考えること、それこそが大事やっていう人もおるけど、「夢がなきゃいかん」とか、そんなふうには思わんけどね。夢ばっか見とったってどうしようもないじゃない。とにかく「今」。今の積み重ねひとつひとつが自分の姿を作っていく、それが結果として未来を作っていくだけのことでね。

 おれは、そんなふうに考えるんですよ。始めからそんなふうに思っとったわけじゃないけどね。だんだんそうなってきたんや、考え方が。ずっと魚釣りに凝ってまったもんで、そこまで50年かかったんやどね。
 でも釣りはね、魚は、おれを滝に案内してくれたんや。滝に出会って、滝の写真を撮るようになって、するとどういうことになったかっていうと、人とのつながり、これができたの。

 人とのつながりは、「木曽川」を撮影する一宮の磯貝さんとの出会いがあって、磯貝さんから出版社・写真家 堀田季知史さん・長良川漁師 大橋さんご兄弟と出会うことが出来た。
 それから出版社から依頼された魚・滝・人との出会いをテーマに「山・滝・渓谷 純情編」を書いた。それがNHK岐阜局の吉川さんから「いのち輝くやま 四季御岳」作成協力依頼に約1ヶ月かかっちゃって。

 堀田季知史さんは決して言葉での教えはないけど作品を見てその考えや思いを学ぶ。大橋さんご兄弟は写真撮影の先にあったテーマで19年の取材を「長良川漁師口伝」(優良図書)として完成させとった。舟にも乗せてもらって漁の苦労等を伺い、おれにとって「とことん」人生の師匠です。
 滝は小坂商工会からNPO法人 飛騨小坂200滝へと続くんやけど。磯貝さんの「オンリーワン」生き方とは共通点があり無二の親友やね。人とのつながりが人として最も大切な「宝もの」だと考えとるよ。

 こんなふうにね、こういう場(ウェブサイト)で自分の話を読んでもらえるとかね、こういう出会いが生まれるって、不思議なことやないの。
 まぁ、生きてるうちにそういうことが理解できたってこと。人はどうの、世の中はどうのと、いろんなことを言うけど、実際そうなったもんは、もうそれでしょうがないの(笑)。

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